第2章:言語学とは?

言語学とは、人間の自然言語を科学的に研究する学問を指す。 自然言語には、音声言語と手話言語の両方が含まれる。現在、 世界では7,000以上の言語が使用されていることが知られており、さらに100以上の手話言語が(http://www.ethnologue.com)に掲載されている。その中には、規模が大きい(話者数が多い) 言語もあれば、小さい(話者数が少ない)言語もある。これらの言語は全て、言語学的研究の調査対象になりうるとともに、人間の言語全般の性質の理解に寄与する可能性を持っている。つまり、音声言語、手話言語ともに、言語学的観点から調査を行う価値があると言える。

言語学者は、言語の形式と意味、文脈に応じた言語使用、習得 パターン、脳内での言語処理など、人間の言語のさまざまな側面に関心を持っている。また、政治的、社会的、文化的、歴史的要因などの外的要因が言語形式や言語使用に及ぼす影響にも関心を持っている。このように研究上の関心が多岐にわたるため、言語学にはさまざまな下位分野が含まれる。以下に挙げるのは、言語の構造的特性に注目した、言語学の主要な分野である。音声言語に基づいた説明を付しているが、類似の言語学的分析方法を手話言語データにも適用できることを後続の章で示したい。

音声学:音声学では、人間の言語音の記述・研究を行う。例えば、言語音の調音(口腔内での子音や母音の生成方法など)、 音響(空気中の粒子の振動を通してなど)、聴覚(言語音の  認識、その情報を用いた言語学的特徴の特定など)といった事柄を研究対象とする。

音韻論:音韻論では、言語音のパターンの研究を行う。例えば、言語における意味の違いを対比するために音声がどのように区別して使われているか、音節構造を司る規則、音声がある順序で 生成された場合の音どうしの相互作用・相互影響、アクセント およびイントネーションの系統的な使用方法などを研究対象と する。

形態論: 形態論では、語の内部構造の研究を行う。例えば、     日本語の「非日常的」は、「非」「日常」「的」という三つの形態素(意味を持つ最小単位)で構成される。「非」は、後続の 名詞(「日常」)の意味の否定を表わす接頭辞である。また「的」は、先行する語を形容詞に変化させる接尾辞である。言語には、語の形成を司るさまざまな規則がある。

統語論:統語論では、言語の文構造を司る規則、すなわち語を 特定の順序で組み合わせ、句、節、文を構成するしくみについて研究する。言語によって語順のパターンは異なり、さまざまな 構造を有している。例えば、単純な他動詞文の場合、英語と中国語とで語順は同じで(「I love you」と「我愛你」など)、主語—動詞—目的語という語順が用いられるが、日本語は主語—目的語—動詞(私はあなたを愛している)となる。また、Wh疑問文を作る場合、英語では、疑問詞を疑問文の先頭に移動させる必要がある(「What do you want to eat?」など)が、中国語では、そうした規則はない(「你想吃甚麼?」(you—want—eat—what))。日本語は助詞の働きにより、平叙文と同じ語順(「あなたは何が食べたいですか?」)で表現することも、疑問詞を文頭や文末に移動させる(「何が食べたいですか?」)、(「あなたが食べたいのは何ですか?」ことも可能である。

意味論:意味論では、個々の語、句、文などの記号列(文字列)が表す意味について研究する。意味分析の例としては、形式と 意味との間にはどのような意味関係があるのか、個々の単語は 意味という点でどのように互いに関連しているのか、言語の使用者はどのようにして個々の語の意味から文の意味を導き出すのか、などが挙げられる。

語用論:語用論は、意味が文脈上の要因によってどのような影響を受けるかを研究する言語学の一分野である。意味論が言語表現で表現された文字通りの意味に注目するのに対し、語用論では、文が発せられた文脈や話し手と聞き手の共有知識が文の解釈に どのような影響を及ぼすのかを研究する。例えば「この部屋は すごく冷えているね」という発言には異なる解釈が考えられる。晴れた暑い午後ならば、この話し手は、建物内のエアコンの涼しさをありがたがっていると考えられる。一方で、非常に寒い日であれば、話し手が聞き手に対して、窓を閉めるよう間接的に促していると捉えることもできる。