第15章:手話言語における非手指表現(I)

多くの聴者は、手話言語は手や腕の動きのみで表現されると誤解している。しかし、それは誤りである。手話は実に視覚言語であり、言語情報は、手指だけでなく、顔の動作に加え、頭、肩、上半身全体の位置や動きなどの部分によっても表現できる(Crasborn 2006)。手指以外の身体の各部によって生成される、これらの言語標識は、「非手指表現」または総称して、「NM」などと呼ばれている。非手指表現は、手指表現と組み合わせて同時に用いられることが多く、様々な言語レベルの機能を果たすことができる。本章では、主に音韻、語彙、形態レベルでの非手指表現の使用に焦点を当て、日本手話の例をあげて説明する。また、次章では、統語レベルでの非手指表現の例について考察する。

音韻レベルでは、ある非手指表現が手話単語の不可欠な部分を占めることがあるが、非手指表現だけで特定の意味を持つわけではない。日本手話の/気持ちの良い/(1)や、/(価格が)高い/(2)では、唇を丸める動作が必要になるが、その動作自体には特定の意味はないように思われる。

(1) /気持ちの良い/

(2) /(価格が)高い/

手話語彙の中には、人が特定の行動を行うときにどう見えるかを、身振りに近い形で視覚的に表す非手指表現が必要なものがある。

(3) /ストローで飲む/

(4) /ロウソクの火を吹き消す/

日本手話の/ストローで飲む/という手話単語は、飲料をストローで飲む様子を表している。唇を丸める動作は、ストローをくわえた口の形に一致する。/ロウソクの火を吹き消す/も、実際に火を吹き消す口の動作を真似たものである。どちらの例も、唇を丸める動作は視覚的に図像性のあるものである。

この視覚的に図像性のあるものには、口以外の顔の部分を使った表現もある。

(5) /風船を膨らませる/

(6) /探偵/

/風船を膨らませる/では、風船を膨らませるときのように、話者の頬は膨らんでいる。また、/探偵/という手話単語は、アニメや映画でよく見られる探偵の一般的なイメージ、虫眼鏡をかざして何かを調べている人を真似たような表現である。

例3から例6の非手指表現は視覚的に図像性が高く、手指表現の意味と緊密に結びついている。

しかし、形態レベルになると、非手指表現の中には、手指表現から独立しているものもある。これらの非手指表現は、手話単語に意味を付け加えるものでる。日本手話の例として、例7a /勉強する/、例8a /紙をハサミで切る/を紹介する。これら動詞に、一連の非手指表現(あきれた目、舌を少し出す、頭を左右に振る)を付け加えて、「適当に」という副詞の意味を表現したものが、例7b、 例8bである。

(7a) /勉強する/

(7b) /勉強する/ + 適当に

(8a) /紙をハサミで切る/

(8b) /紙をハサミで切る/ + 適当に

この非手指表現の副詞「適当に」は、必ずしも視覚図像的ではないことに注意してほしい。人が何かを適当にしているときに、実際にこのような動作をするわけではない。この副詞は、動詞と同時に組み合わせて用いる。

例9および例10では、他の非手指表現の副詞「苦労して」を紹介する。

例9aは、「車が丘を登る」という文を示している。対して、例9bでは、車は重い箱を積んでおり、丘を登るのは容易ではない。「苦労して」という副詞の意味は、話者の顔の表情(食いしばった歯、しかめた顔、細めた目)でも部分的に表現されている。

また、例10aは、「ビンの蓋を開ける」を示し、例10bは、「苦労して」の非手指表現の副詞を、動詞CL[=ビンの蓋を開ける]と同時に重ねたものである。

(9a) 「車が丘を登る」

(9b) 「車が苦労して丘を登る(丘を登るのに苦労している)」

(10a)「ビンの蓋を開ける」

(10b) 「ビンの蓋を苦労して開ける」

上記の例により、日本手話では、非手指表現が音韻、語彙、形態レベルで用いられることを示した。次章では、統語レベルの非手指表現を取り上げるとともに、日本手話の例をさらに紹介する。

参考文献:

  • Crasborn, Onno. 2006. Nonmanual structures in sign languages. In: Keith Brown (Editor-in-Chief) Encyclopedia of Language & Linguistics, Second Edition, volume 8, pp.668-672. Oxford: Elsevier.