第11章:手話言語における空間の利用:時間関係の標示

言語学において、時制は時間的状況を示す文法範疇である(Fabricius-Hansen 2006)。英語、ドイツ語、スペイン語などのヨーロッパ諸言語をはじめ、音声言語の中には、過去、現在、未来の時制を区別するための複雑な動詞形態を有しているものがある。例えば、英語の時制は、動詞の形態的標識(play-s[遊ぶ]play-ed[遊んだ]go[行く]went[行った]など)、または、助語(has played[遊んだことがある]had played[既に遊んだことがあった]will play[今後遊ぶ]、など)によって表現できる(1a, 1b参照)。また、中国語、ベトナム語、インドネシア語など、文法的な時制を持たない言語もある。これらの言語では、事象の時間的順序は、主として時間を示す副詞(yesterday[昨日]last week[先週]tomorrow[明日]など)によって表現され、動詞の屈折による標示は行わない(2a, 2b参照)。

(1a) He played basketball yesterday.[彼は昨日、バスケットボールをした](英語)
(1b) He will play basketball tomorrow.[彼は明日、バスケットボールをするつもりだ](英語) 
(2a) 昨天 籃球
  ta zuotian da lanqiu
  昨日 打つ/遊ぶ  バスケットボール
  「彼は、昨日、バスケットボールをした」(中国語)
(2b) 明天 籃球
  ta mingtian da lanqiu
  明日 打つ/遊ぶ  バスケットボール
  「彼は、明日、バスケットボールをする」(中国語)

これまでの研究から、手話言語の動詞は、ヨーロッパ諸言語のような時制を示す屈折はしないと論じられている(Schermer and Koolhof 1990, Wilbur 1979, Leeson 1996)。そのため、手話言語は、中国語などと同じ「無時制」言語に分類できる(Binnick 1991)。日本手話も、動詞による時制標示は行わない。過去、現在、未来のいずれの事象なのかは、時間を示す副詞または文脈によって判断される。次の3aと3bで例を示す。

(3a)「昨日は大雨だった。今日は快晴だ」

(3b)「彼はいつも遅れてくる。明日も間違いなく遅れるだろう」

(3a)の二つの文の時間枠は、それぞれ[昨日]と[今日]によって決定される。(3b)では、[いつも]、[明日]という副詞により、最初の節が現在の状況であること、すなわち、その人はいつも決まって遅れてくることが分かる。

一般的に、手話言語は動詞による時制標示を行わないが、 実際には「タイムライン(時間軸)」を用いて時間を空間的に標示するということが、しばしば行われる。ここでいう「タイムライン」とは、特定の時間を空間の位置によって示すものである。また、時間の経過は、タイムライン上の空間の移動によって、隠喩的に表現できる(Engberg-Pederson 1992, Winston 1995, Arik 2012)。日本手話の場合、このようなタイムラインをいくつか図示すると、以下のようになる。

直示的タイムライン(体の前/後):

直示的タイムラインは、話者の利き手側の肩の後方から前方の空間へと延びる概念上の時間軸で、話者の位置が発話時点、つまり、現在を表す基準点となる(下の図参照)。

話者の位置を基準点として、タイムラインは「現在より前/過去」(基準点の後方)「現在」(基準点)「現在より後/未来」(基準点の前方)という三つの部分に分けられる(Engberg-Pederson 1992)。このタイムラインは、日本手話の、時間を示す副詞の手話動作に反映させることができる。

(4) /大昔、過去、現在、未来、ずっと未来/

順序タイムラインは、話者の正面に平行に走る概念上の時間軸で、話者の左側から右側へと延びている。話者が右利きの場合、順序タイムラインは、話者の左側から右側へと進む。つまり、空間Aが空間Bの左側に位置する場合、AはBよりも時間的に早いことを表している(Engberg-Pederson 1992)(下の図参照)。

順序タイムラインは、/次/ あるいは /次々と/ などの手話単語に現れる場合がある。また、話者が一連の行為の順序を表現したいときに用いられる場合もある。以下に、香港手話での例を示す(日本手話で表現)。

(5) 「朝はいつもとても忙しい。最初に料理をし、次に家の掃除をし、次に洗濯をする。本当に大変だ」

カレンダータイムライン(左/右、垂直方向)

カレンダータイムラインは、話者の体の正面に平行に広がる二次元平面である。この平面はカレンダーに似ていて、列が曜日を、行が週を表すイメージである。このタイムラインでは、曜日に関連する文脈では時間的変化が左から右へ、または上の空間から下の空間へと垂直に進む。

日本手話では、カレンダー平面は、以下のように曜日に関連する手話単語に現れる。

(6a)「今週は火曜日と水曜日に働く」

(6b)「毎週月曜日と水曜日に、ジムに通っている」

日本手話では、/伝統/など、斜め下方向へ動く手話語彙もある。

上記事例では、空間を使うことによって、時間関係を隠喩的に表現する方法を説明した。このようなタイムラインは、これまでに研究された多くの手話言語で観察されている。

参考文献:

  • Fabricius-Hansen, Catherine (2006). “Tense”. In Brown, E.K.; Anderson, A. (eds.). Encyclopedia of Language and Linguistics (2nd ed.). Boston: Elsevier. pp. 566–573.
  • Leeson, Lorraine M. 1996. The Expression of Time in sign languages with special reference to Irish Sign Language. M.Phil Thesis.
  • Schermer, T. and Koolhof, C. 1990: “The Reality of Timelines: Aspects of Tense in Sign Language of the Netherlands (SLN). in Prillwitz, S. and Vollhaber, T. (Eds) Current Trends in European Sign Language Research. Hamburg: SignumPress. pp. 295-305.
  • Wilbur, R.B., 1979: American Sign Language and Sign Systems, Baltimore: University Park Press.
  • Binnick, Robert I.., 1991: Time and the Verb: A Guide to Tense and Aspect. Oxford: Oxford University Press.
  • Winston B. (1995). “Spatial mapping in comparative discourse frames,” in Language, Gesture, and Space, eds Emmorey K., Reilly J. (Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum; ), 87–114.
  • Nilsson A.-L. (2016). Embodying metaphors: signed language interpreters at work. Cogn. Linguist. 27 35–65. 10.1515/cog-2015-0029
  • Arik, Engin. 2012. Space, time, and iconicity in Turkish Sign Language (TID). Trames Journal of the Humanities and Social Sciences 16(4):345-358.