第9章:手話言語における空間の利用:動詞の分類

手話言語の明確な特徴のひとつは、さまざまな文法レベルで空間を広く利用することである。この章では、動詞の種類と空間の利用の仕方との相互関係について考察する。

パッデン(Padden 1983)は、アメリカ手話(ASL)の動詞は、一致動詞(agreement verb)、空間動詞(spatial verb)、 無変化動詞(plain verb)の三種類に分類されると提唱した。

一致動詞

一致動詞は、項(主語、目的語など)の統語的役割だけでなく、その人称(一人称、二人称、三人称)や数的特徴(単数、複数など)を標示できる動詞で、通常、項間の移動を伴う事象を表す。他の多くの手話言語と同様に、日本手話(JSL)の /与える/ は、一致動詞である。動画1は、/与える/ の 辞書形で、サイナー(手話者)の体近くの位置から、手を前方へ短く移動する動作を伴う。辞書形とは、手話単語を[会話の中ではなく]単独で発話するときに用いる形で、 辞書に見出し語として載っているのも、この形である。/与える/ の動作の方向は、主語(与える人)や間接目的語(受け取る人)を示すために変更することができる。動画2に示した/与える/ は、一人称単数の主語(私)と二人称単数の間接目的語(あなた)を示し「私はあなたに与える」を意味するように変更されている。また、動画3は「私は彼/彼女に与える」、 動画4は「彼/彼女は彼/彼女に与える」を表わしている。

動画1 /与える/(一致動詞)の辞書形

動画2 一人称単数 /与える/ 二人称単数

動画3 一人称単数 /与える/ 三人称単数

動画4 三人称単数 /与える/ 三人称単数

パッデンは、このような動きの変更は、音声言語の動詞の 一致に似ていると指摘した[1]

/与える/ では、動きは、主語の指示対象の想定位置から始まり、目的語の位置へと向かう。一致動詞の中には、主語と 動詞の一致を、手の方向のみを変えることによって表わすものもある。動画5は、日本手話の /説明する/ の辞書形である。動画6は「私は彼/彼女に説明する」という意味を表わして いる。手のひらは話者の非利き手側を向き、手の甲は利き手側を向いている。動画7は「彼/彼女は私に説明する」という意味を表わしている。手のひらは話者の利き手側を向き、 手の甲は非利き手側を向いている。


[1] /与える/ のような動詞における動きの変更が動詞の一致の現れであるかどうかについては、文献によって意見が分かれている。一致動詞と空間動詞をひとつの部類にまとめることを提唱する研究者もいる(de Quadros & Quer 2008など)。この件に関する様々な意見のレビュー、ならびに、いくつかの代替分析については、Pfau et al. (2012)のUnit 7を参照されたい。

動画5 /説明する/ の辞書形

動画6「私は彼/彼女に説明する」

動画7「彼/彼女は私に説明する」

一致動詞の中には、/言う/ のように、動きの方向と手のひらの向きの両方の変化によって、動詞の一致を表わすものもある(動画8、9、10)。

動画8 /言う/ の辞書形

動画9「あなたは私に言う」

動画10「彼/彼女は彼/彼女に言う」

上記の/与える/ と /言う/ の例では、手の動きは、主語の想定位置から始まり、目的語の想定位置の方向に向かう。一致動詞の大半は、このような動きのパターンを示す。 しかし、わずかではあるが、一致動詞の中には、動きの方向が逆転しているものもある。動画11は、/呼ぶ/ の辞書形である。動画12は「私は彼/彼女を招待する」を表わしているが、この場合、手の動きは三人称の目的語の位置から始まり、一人称の主語の方向に向かう。動画13では、一人称の目的語から始まり、三人称の主語の方向に向かう。

動画11 /呼ぶ/ の辞書形

動画12「私は彼/彼女を呼ぶ」

動画13「彼/彼女は私を呼ぶ」

空間動詞

一致動詞と同様に、空間動詞も、空間的に変更を加えることができる。しかし、空間動詞では、動詞の起終点に関係する位置が示される。日本手話の空間動詞の例として、/歩く/  (動画14、15)、/置く/ (動画16)、/引っ越す/(動画17)などが挙げられる。

動画14および15の /歩く/ は、空間的な変更により、指示対象がどのように歩いて移動するのかを手話空間で示す。 動画16の /置く/ は、本を置く場所を示す。動画17は、男の人がある場所から別の場所へ移動したことを示す。

動画14 /男  a歩くb /「男の人は位置‘a’から位置‘b’まで歩く」

動画15 /女 歩く/ 「女の人は(階段を)歩いて上る」

動画16 /男 本  置く/ 「男の人は本を位置aに置く」

動画17 /男 引っ越す/ 「男の人は位置aから位置bへ引っ越す」

無変化動詞

手話言語における第三のタイプの動詞は、無変化動詞で  ある。無変化動詞は、人称や数の一致を表現しないし、文法情報を示すために空間の中を動いたり、場所格の接辞を伴ったりしない。動画18と動画19に、無変化動詞 /好きである/ を示した。

動画18「父は子供たちが好きである」

動画19「私は子供が好きである」

/好き/ などの無変化動詞は、身体結合語(身体上の特定位置で発せられる手話単語)であり、空間的に変更を加えることはできない。

参考文献:

  • de Quadros, Ronice Müller & Josep Quer. 2008. Back to back(wards) and moving on: On agreement, auxiliaries and verb classes in sign languages. In Ronice Müller de Quadros (ed.), Proceedings of the Theoretical Issues in Sign Language Research conference 9, 530– 551. Petrópolis, Brazil: Editora Arara Azul.
  • Padden, Carol. 1988. Interaction of Morphology and Syntax in American Sign Language. New York: Garland Press.
  • Pfau, Roland, Markus Steinbach & Bencie Woll. 2012. Sign Language: An International Handbook. De Gruyter Mouton.