第5章:手話音声学および音韻論:二重分節性

ストーキーの手話音韻論の同時結合モデル(Stokoe 1960)において最も重要なのは、アメリカ手話(ASL)には「二重分節性(duality of patterning)」があることを示唆した点である(Sandler 2012)。「二重分節性」は、ホケット(Hockett 1960)が挙げた人間言語の特徴のひとつである。音声言語における「二重分節性」について説明するために、まず英語におけるいくつかの実例を見てみよう。英語には、個別の子音(d、f、p、t、k、m、n、lなど)と母音(æ、u、ə、a、ɒ、iなど)がある。これらの子音・母音自体には意味はない。しかし、これらの意味のない音を組み合わせて、意味のある語を作り出すことができる。

例えば、

/k/ + /æ/ + /t/ >  [kæt]「cat(ネコ)」
/d/ + /ɒ/ + /g/ >   [dɒg]「dog(イヌ)」
(意味のない個々の音)(意味のある語)

人間の言語は、有限個の意味のない単位(音韻的単位)を組み合わせて、意味を持つ単位(形態素)を作り出すことができる。そして、その意味を持つ単位をさらに組み合わせれば、より大きな別の語を作り出すことができる。「二重分節性」は、全ての音声言語に見られる。

ストーキー(1960)は、アメリカ手話の手話単語は有限個の意味のない要素を組み合わせて作り出すことができることを実証した。従って、音声単語と同様に、手話単語にも「二重分節性」を見て取ることができる。例えば、アメリカ手話の手話単語APPLE(リンゴ)は、次のような音韻要素からなる。

手型:フック形
位置:
動き:手首を両方向にひねる

これらの要素、すなわち、フック形の手型、頬という位置、手首を両方向にひねる動きのそれぞれ自体は意味を持たない。しかし、これらを組み合わせると、APPLE(リンゴ)という手話単語になる。

意味のない要素を組み合わせて意味のある手話単語が作り出される例をもう一つ挙げる。日本手話の手話単語 /病気/ は、以下の音韻要素からなる。

手型:握りこぶし
位置:額、眉、顔の上部
動き:接触させる動き

この手話単語において、三つの構成単位のそれぞれ自体は     意味を持たないが、これらを組み合わせると、日本手話では「病気」と言う意味となる。

「二重分節性」により、有限個の意味のない小さな単位を    用いて、無限個の語や表現を作り出すことができる。これは自然言語の重要な特徴のひとつである。時代の移り変わりや社会の進歩とともに、新しい概念やモノが生まれ、それらに言葉でラベル付けする、つまり名付ける必要が出てくる。    このように増え続けるコミュニケーション・ニーズに、人間の言語が十分応えることができるのは、「二重分節性」の    おかげである。事実、「二重分節性」は人間の言語と動物のコミュニケーション方式とを区別する言語学的特徴のひとつだと、ホケットは論じている。

ストーキー(1960)とホケット(1960)の著作が出版されたのは1960年代である。その後、過去60年間にわたり、「二重分節性」の普遍性、ならびに、人間の言語がこのような構造を備えている理由については、沢山の議論が行われてきた(de Boer, Sandler & Kirby 2012など)。「二重分節性」は手話言語でも見られるが、全ての手話単語が意味のない単位だけで構成されている訳ではない。音声言語とは異なり、手話    言語は視覚言語であるため、手話単語の生成レベルにおいて、視覚的により象徴的な意味を持つ要素を取り入れることができる(Sandler, Aronoff, Meir & Padden 2011)。従って、 手話単語は、視覚的に象徴的な、つまり必ずしも意味がない訳ではない単位を用いて構成しうる。日本手話の手話単語       /食べる/ を例に取ると、この手話単語は、お箸を使って食べ物を口に運ぶ動作を真似ている。そのため、手型、位置、動きは、意味がないというよりは、むしろ意味を有していると    いえる。しかし、それでもやはり、手話単語を複数の構成単位に分割することができる。このことから、手話言語には、ふたつの明確に異なる層の組み合わせが見られると考えられる。

/食べる/

参考文献:

  • Hockett, Charles. The origin of speech. Scientific American. 1960; 203:89–96. [PubMed: 14402211]
  • Sandler, Wendy. 2012. The phonological organization of sign languages. Language and Linguistic Compass, 6(3), 162-182.
  • Sandler, Wendy, Mark, Aronoff, Irit Meir & Carol Padden. 2011. The gradual emergence of phonological form in a new language. Natural Language and Linguistic Theory 29. 502–543.
  • de Boer, Bart, Wendy Sandler & Simon Kirby. 2012. New perspectives on duality of patterning: introduction to the special issue. Language and Cognition, 4(4), 251-259.