第10章:手話言語における空間の利用:指示対象の位置特定

前の章では、一致動詞と空間動詞について、手話話者がその意味を表現するために空間内でどのように手を動かすかに ついて考察した。この章では、話者が指示対象(人間または人間以外の存在物など)と手話空間内の位置とをどのように関連付けるのかについて、より詳しく調べる。

コーミアら(Cormier et al. 2015)は、手話言語の空間の使い方は、その指示的目的によって、「有縁的(motivated)」と「恣意的(arbitrary)」のふたつのタイプに大別されると 指摘している。空間の有縁的利用では、現実または想像の 世界のいくつかの要素を手話空間にマッピングする。前の モジュールで示した通り、/与える/ は一致動詞であり、主語 および間接目的語の位置を示すために手の動きの方向を変更できる。一致動詞では、手話空間に存在する指示対象の間を動作で示すことができる。例(1)では、話者の隣にふたりの人物が立っている。彼女は、そのひとり(太郎)に本を与えたと、もうひとりの人物(花子)に話している。/与える/ の 動作では、手を話者からひとりの人物(太郎)へと動かすことによって、一人称の主語との一致と三人称の間接目的語との一致を表わしている。

例(1)

「私はすでに(太郎に)本を与えた」

ふたつの指示対象(上述のふたりの人物)がその場にいなくても、話者は、ふたりがそこにいると想像して、例(2)の ように、想像の中の指示対象の間で一致動詞の動作を行うことができる。

例(2)

「私は、太郎に本を与えたと、花子に話した」

想像の中のこれら不可視の存在物は、サロゲート(代用物)と呼ばれ、現実の指示対象と概ね同じ大きさであると把握できる(Liddell 1990, 1995)。そのため、局所的な指示対象の 高さの違いが、一致動詞の方向に影響を及ぼす場合がある。例(3)では、「教師」と「生徒」のサロゲートが話者の右側と左側にそれぞれ置かれている。ふたつの指示対象を指し示すしぐさの方向と、動詞 /与える/ の動作から、教師は生徒よりも背が高いこと、または地位が高いことが分かる。

例(3)

「教師は生徒に本を与えた。生徒はありがとうと言った」

例(2)および例(3)は、空間の有縁的利用の実例である。ここでは、話者が周囲の実物大の人またはモノとやりとりしている。一方、空間の有縁的な利用において、実際より小さな縮尺の空間が想定される場合もある。話者は、自分の前面の空間を[実際の空間を縮小した]一種の地図であるかのように使い、その空間の特定の位置にある人やモノを、手話を使って表現する(Cormier et al. 2015)。例(4)では、話者は最初に、手話空間の左側に左手を置き、自動車の位置を示す。続いて、右手で少年を表現し、少年が自動車に向かって歩いていることを示す。リデルの分析(Liddell 1990, 1995)では、自動車と少年をそれぞれ表わすふたつの手を「トークン(話題の対象として概念化された存在)」と呼んでいるが、他の多くの文献では「類別詞(CL)」と一般に呼ばれている(類別詞の構造に関する全般的な考察については、Pfau et al. 2012; Sandler & Lillo-Martin 2006を参照)。例(5)に、実際より小さい縮尺を見立てて行われる空間の有縁的利用の例を示す。

例(4)

「少年が自動車に向かって歩く。」

例(5)

「テーブルの上に二冊の本がある」

第二のタイプの空間の使い方においては、指示対象の位置が恣意的に割り当てられる。それぞれの指示対象の位置は、 現実または想像の世界における位置を示しているわけでは ない。それぞれの位置は、指示対象を示す目的のために手話言語内に設けられただけのものである。例(6)で、話者は、聴者とろう者の視野を比較しようとしている。話者は、/ろう者/ を表わすとき、頭をわずかに傾けることによって、手話空間の左側と指示対象の「ろう者」とを関連付けている。  また、同様の方法により「聴者」と手話空間の右側とを関連付ける。この二つの位置[左側と右側]は、指示対象を示す目的のためだけに恣意的に割り当てたものである。空間の 恣意的利用のもうひとつの例として、例(7)では、話者は、医学を学ぶことと芸術を学ぶことを表すために、ふたつの 異なる位置をそれぞれ割り当てている。

例(6)

「ろう者は、聴者よりも視野が広い」

例(7)

「医学を学ぶのは大変だし、学ばなければならない期間も長い。しかし、私は、将来、沢山稼ぐことができる。

芸術を学ぶのは、私にとって興味深く、大いに楽しめると思う。しかし、私は、将来、沢山は稼ぐことができない。

私は今も、このふたつの選択肢を検討しているが、まだ答えは出ていない」

参考文献:

  • Perniss, Pamela. 2012. Use of sign space. In Roland Pfau, Markus Steinbach & Bencie Woll (eds.), Sign language: An international handbook (Handbooks of Linguistics and Communication Science), 412-31. Berlin: Mouton de Gruyter.
  • Liddell, Scott K.1990.  Four Functions of a Locus: Reexamining the Structure of Space in ASL. In: Lucas, Ceil (ed.), Sign Language Research: Theoretical Issues. Washington, DC: Gallaudet University Press, 176-198.
  • Liddell, Scott K.1995. Real, Surrogate and Token Space: Grammatical Consequences in ASL. In: Emmorey, Karen/Reilly, Judy S. (eds.), Language, Gesture, and Space. Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum, 19-41.
  • Sandler, Wendy & Diane Lillio-Martin. 2006. Sign Language and Linguistic Universals, Cambridge University Press (Unit 5: Classifier constructions)
  • Pfau, Roland, Markus Steinbach & Bencie Woll. 2012. Sign Language: An International Handbook. De Gruyter Mouton (Unit 8: Classifiers)